2011/09/30

器の話

「点」は、手彫りにこだわった木の器を中心としたお店です。
自然オイルの器、紫の器、黒の器、があります。
自然オイルの器
                                                                             
 くるみ油を塗って仕上げたナチュラルな感じの器です。山桜、欅、楠、 ホウ、檜、くるみなど、いろいろな木の木肌や、木目の違い感じられ、おもしろいです。何年も使っていくうちに変化してくるのが楽しみです。
これは 山桜の大皿です。ダンケのパン(大仁のパン屋さん、美味しいの!)をのせてみました。

紫の器 
 ウォールナットに摺り漆をした器です。私は茶色?と思うのですが、夫は、紫だと言い張ります。くるみに含まれる成分の関係で、このような色になるのだそうです。
「ボルドーね!」とおっしゃられた方がいらっしゃったので、これからは、ボルドーで~
麩まんじゅう(修善寺、和楽)をのせてみましたが、漆を塗ってありますので、油もの(サラダなど)など料理にも気を使わず使っていただけます。

黒の器


鉄分を含むお歯黒液で媒染した黒い器です。漆と鉄が反応して黒くなります。
黒漆を塗ったのとは違い、微妙に黒い色に変化があり、木目も感じられマットな感じになるように仕上げてあります。
和風というよりは、モダンな感じがします。お刺身などばっちりです。白い色、緑色は映えます。
もやしチャンプルーなど、ふつうの料理が少しグレードアップします。

漆は扱いが~と心配される方がいらしゃいますが、水に長い間入れておいたり、食洗機に入れたりしなければ、普通に扱って大丈夫です。
お菓子だけではなく、しまいこまないで、普段の食卓に使っていただきたいと思っています。

2011/09/26

看板ができました!

やっと、看板ができました。
今まで、立て看板はあったんです。
お店に合うものを、自分たちで作りたい考えていたので、遅くなってしまって・・
古いけやきを、彫ってつくりました。

お店は、自分たちで、ペンキを塗ったり、棚を作ったり、真ん中のテーブルは我が家の食卓でした。これで、子供たちは宿題をしたり、絵を描いたりしました。

日枝神社の隣です。
ひっそりと、めだたないですが、看板はあります(笑)

2011/09/23

訂正 電話番号

お店の電話番号が間違ってました。
            2881(誤)
            2811(正)
今まで気がつかず、本当に申し訳ありません。

2011/09/21

起雲閣

お店のお休みに、かねてから行きたいと思っていた熱海の起雲閣に行きました。
写真機のなかに、カードを入れ忘れて!
何たる不覚!!!
起雲閣の中は、写真撮影自由なんです!
これは、パンフレットの中から拝借しました。
起雲閣は、大正時代に”海運王”内田信也の
別荘として、建てられました。左側の伝統的な建物(麒麟)です。
そして、昭和に、”鉄道王”根津嘉一郎によっして、洋館(玉姫、玉渓)ローマ風呂が建てられました。
手前の庭園は、茶人としても知られた根津嘉一郎が自ら采配をふるって作られた庭です。
その旅館となり、その庭を囲むように建物がくわわり、熱海の名旅館として、多くの文人(山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、武田泰淳、尾崎紅葉etc.)が宿泊しました。

大正、昭和のはじめの豊かな時代、ひとつひとつがすごいんです。
特に、チューダー様式とされる洋館は、家具もきちんと残って、見どころがいっぱい。
ちょうなでなぐり仕上げをした柱やドアに、夫は興味しんしん~
天井いっぱいのステンドグラスのサンルーム、暖炉の上の装飾、食堂の壁紙(布)、中国と、アールデコと、寺社建築が、山荘風の洋館のなかに豪華に詰まっています。

起雲閣は旅館を廃業し、実は何年か前、高層マンション建設計画が持ち上がったのです。
それを熱海市が買い取ったのです。
市民の理解を得るのは大変だったと思うのですが、ほんとうに頑張ってくれてありがとう。
今となっては造ることのできない、熱海の、伊豆の、静岡の、貴重な財産です。
NPOの方々が説明してくださいましたが、起雲閣に対する思いが伝わってきました。

伊豆に来た友人を、案内するとlころの一つになりました。

2011/09/17

指月殿

指月殿は、暗殺された頼家の母政子が、わが子の冥福を祈って建立した経堂です。
指月は、月を指す「指」を「経典」に、その延長の「月」は「仏の教え」という意味で、
月にたどりついた・・すなわち「悟りの境地」にたどりついた・・・という意味・・
う~ん、奥が深いのう~

ちょうど、桂川を隔て、修禅寺が望めます。 
この位置に立っているということが、重要というだという気がします。
政子の、北条氏によって暗殺されたわが子、頼家に対する思いが伝わってくる気がします。 
釈迦如来像(鎌倉時代)と二対の仁王像があります。














本尊の如来像は、ハスの花を右手に持った禅宗式という珍しいものだそうです。
仁王像は、修禅寺の山門、現在の横瀬地区(キミサワとかカインズがある136号線沿いのところ)
にあったそうです。なんて、修禅寺は広かったのでしょう!
仁王像は藤原時代の作ということなので、私は迫力というよりは、ほのぼのとした感じがしています。
政子が納めた数千もの経典は散逸してしまったそうですが、わずか数巻修禅寺にあるそうです。

鎌倉時代の伊豆最古の木造建築ということで、ちょっとさびれた、古びた感じが、好みです。
「ミシュラン二つ星」ということで、さすがミシュラン!わかっていらしゃる!
もちろん、そのすぐそばに、「頼家」と家臣の「十三氏の墓」も立っています。





2011/09/15

ぶどう














夫の実家米沢から、ぶどうが送られてきました。
米沢周辺は、ぶどうの産地で、斜面にビニールハウス?がずうっと並んでいます。
ワインもあります。
ジャムもおいしいんです。(さくらんぼとか、ラフランスのジャムも)
米沢は暑いけれど、夜はぐっと涼しくなる。
そんな気候のせいか、野菜もくだものもすごく味がしっかりしている!

ぶどうはピカピカで、味が濃い、甘ーい!
思わず私ひとりで、ひと房食べそうな勢い・・。

黒のうるしの器に盛って、食卓の上に置いてみました。
向こうに見えるペザントチェアーは、「桂の木にうるし」です。

2011/09/10

箸置きは肥満を救う~













木の枝を生かした箸置きです。 
塗装してあるので、洗えます。

埼玉からいらっしゃった整体師の方が、「箸置きは体にいい!」と、
「箸置きを使うことによって、食事をゆっくりすることになる。」
「よく噛むことにつながる。」「肥満防止にもなる!」
その方は、普段は玄米を主食としているそうです。

椿、南天、つつじ、一位樫など、いろいろ、木肌も違って面白いです。

2011/09/07

狩野川

台風は、大きな爪痕を残し去ってゆきました。
今日は暑いけれど、空は秋の空。すうっと高い。














狩野川は、天城や中伊豆、伊豆の山の水を集めて、伊豆半島の中心を北へ、沼津に流れています。
天城という地名は、「あめぎ」という由来からだそうで、「ところにより雨」というと、必ず雨というように雨の多い地域。
天気予報では、「天城山何ミリ」と放送されます。
昭和33年には、狩野川台風で狩野川が氾濫し、狩野川一帯にいまだに語り継がれるほどの大きな被害が出ました。
伊豆長岡から三津にぬける放水路も、その時できました。
少し前には、強風台風22号で、狩野川の支流がいくつか氾濫し、とっこの湯も被害を受けました。
(今は、再建されてます。)

でも、どこかへ出かけて帰ってくると、狩野川が見えると、修善寺に帰って来たなぁと実感します。
狩野川は、わたしの住んでるところのシンボルである気がしています。
赤い橋(136号から、伊豆箱根修善寺駅方面にかかる橋)から、狩野川を眺めるのが好きです。
サギが飛んできて、カモがゆっくり泳いでいて、アユ釣りの人がいて、中州の草も枯れてきて、月が光って・・・いろんな季節がめぐってゆきます。

狩野川サイクリングロードが整備されてきて、沼津までつながるということですが、狩野川の土手を
風に吹かれながら、自転車でいくなんてなんて素敵なんでしょう。

2011/09/02

一輪ざし

台風が来ています。
わーと雨が降り、静かになり、またわーと土砂降り。
広い範囲で、雨が降りつづいています。
災害が起きませんように・・・

壁掛けの一輪ざしです。ホウの木です。
山で見つけた三つ葉アケビを飾りました。
















ケヤキの一輪ざしです。表面に虫食いに跡があって面白いです。
うるしの仕上げです。夾竹桃を飾りました。
一輪ざしは、たまたま面白い木の部分があったときに、その場所を生かして作ります。

散歩のときに見つけた草花、庭の花など、さりげない花がよく似合います。